このピアノは、メーソン氏が個人用として、来日時持参したアメリカ・ボルティモアのクナーベ製のアップライト型です。製造番号19750から推定すると、来日に当たって新調したことも考えられます。当時としてはかなりモダンな構造仕様をしており、音域はCC〜Cの変則的な7オクターヴ85鍵です。明治13年3月音楽取調掛に搬入された時、私物であるところから運賃、関税も含めて40円余りをメーソンが負担したといいます。

  明治15年、休暇ながら離日にあたってメーソンの愛弟子であり。最も信頼していた通訳であり、助教授であった中村専さんにこのピアノを贈ったといわれています。専は、のちに東京師範学校長から東京音楽学校長を歴任した高嶺英夫夫人となり、息女敬子は土田家に嫁すに当たり、このピアノを持参しました。ピアノは子息 土田国保氏(本警視総監)に引き継がれ、一時戦後の混乱から手放されるが劇的な再会後、その又ご子息の土田栄三郎芸大助教授へと引き継がれて 今日に至っています。歴史的なピアノが優良な状態で保存されてきた所以です。

 このピアノは構造の特徴から、低音側の張力に耐えられず、前に傾いており、左親板に亀裂が入っていて、徹底した解体大修復が必要でした。さらに燭台は完全に欠落しており、欠落前の一葉の写真から推測して製作するしかありませんでした。(社)日本ピアノ調律師協会は平成11年3月以来、東京藝術大学資料館(当時)にもう一台の明治政府買入と思われるスクエアピアノともども奉仕修復を申し出た結果、許可を得て修復を実施いたしました。

  本体の修復に当たっては、当協会  関東支部 江森 浩 支部長(当時)を中心に、有志の会員技術者がほとんど奉仕で作業し、必要な経費は関東支部の事業会計から支出しました。一方、燭台については、東京藝術大学 原正樹 教授がオリジナルデザインの製作に当たられ、木工に付いては新進の木工作家 須田 堅司氏が東京藝術大学より委嘱されて指導されました。

 わが国洋楽事始に際し、全力を傾注した人々の喜びと悲しみを内に秘めたピアノが120年のときを超えて蘇りました。今の日本人にどの様に響きかけるのか興味は尽きません。

 


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