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  JPTAの歴史
大正6年ピアノ技術習得後米国留学を終え帰国した福島琢郎氏がチューナーズ・ギルドの結成を提唱し、また、大正13年同じく米国から帰国の河野三郎氏が、米国のナショナル・チューナーズ・アソシエイシヨンの日本版結成を提唱、それらの働きかけが基になり大正14年関西に「関西ピアノ技術者協会」、昭和5年関東に「ピアノ技術者協会」がそれぞれ誕生しました。

翌昭和6年に東西が合流、現在の「社団法人日本ピアノ調律師協会」の前身である「全国ピアノ技術者協会」が結成されました。

昭和9年に第1回総会を関東で開催、昭和15年には制度改革をして関東、関西の2本部制を採用、その後第二次大戦をはさんで、幾多の迂余曲折を経て参りましたが、昭和23年には初めて入会のための技術審査が施行されました。
その後会員の全国的な展開にあわせ、九州、静岡の両本部を加え4本部制の運営が取り入れられました。 また当時任意団体であった当協会を、法人化するべく多くの議論が持ち上がったのもそのころのことでした。

その後昭和41年全国合同役員会を開き、組織を大幅に改め、全国10支部制を採用、本部を1本化しました。そこで協会法人化への具体的研究を開始。昭和48年に現在の「社団法人日本ピアノ調律師協会」が正式に誕生したわけです。

当時法人化にたずさわったわれわれの先達は協会の性格づけをどうするかについて、同業者の組合あるいは親睦団体として労働省の所管にするか、ピアノ製造に関する技術者団体として通産省の所管にするか等、学識経験者も加えて多方面から、討議検討を加えたと云うことが当時の記録として残っております。
結局「調律とは音の創造」であり、調律の芸術性、調律師の芸術家団体の側面を調律師協会として主張する。として文化庁の所管で認可を受けるという道を選びました。

創立当時60人程度から始まった当協会は60有余年を経た現在、約3000人の全員を有する迄に成長しました。それにともないその事業内容も僻地での学校をはじめとする、各種社会施設ピアノ管理、講演会、研修会、音楽会等いろいろな事業を通じ公益法人として社会の要請に答えるべく努力を傾注しているところです。

 一方国家公認の資格試験制度が無い現在、直接ピアノユーザーであるお客さまと接する個々の会員の資質を向上し、社会的な信用を維持向上するため、また技術レベル、識見等を社会に対して維持し保証するため、当協会は技術、学料などに厳格な基準をもうけて自らの会員の入会に際して入会審査を課しているわけです。

こういったところが当協会のあらましです。近年、国際化という時代の流れにも即応し、米国のピアノ・テクニシャン・ギルドと共同提唱者としてI.A.P.B.T.(For The Members of International Association Of Piano Builders and Technicians)という組織を結成、私達の活動も国際的な広がりを待つに至ったわけです。

ピアノを国民の芸術的財産として位置づけ、その運営管理を行なうことにより社会道徳的要請に応えるという、われわれの先輩達が掲げた理想を継承しその目標にすこしでも近づけるため、今後とも社団法人日本ピアノ調律師協会としての努力を注いで行く所存ですが、皆様方におかれましても、ピアノのケアーをお任せ頂いている当協会員を通じまして、一層のご指導、ご鞭たつを賜りますことを、私達の日本ピアノ調律師協会のご紹介かたがた、心からお願い申し上げる次第です。


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